明日香村の風景
こんにちは!
本日の座間地方、午前中は☁が多かったですが、午後になりお日様の差す良いお天気になりました。
今日も暑いですね!
何か書きたい感じがするので、思いつくままに文章にしてみます。
ところで・・
人生の外側(外の世界)で起きることは自分の内側で起こっていることだって、皆さんご存じですか?
不安感や焦燥感に苛まれるとき、人は「何々がこうだから」とか「先行きが不透明だから」など、自分の外にある原因が自分の感情が揺さぶられている・・と考えがちです。
私も不安感や焦燥感(あせり)が安心感を上回っている時期がありました。
オペラ歌手現役時代はそういう時期が多かったと思います。
手帳が「白い」ことが不安で仕方なかった。。
もちろん生活の基盤となる仕事はずっとしてましたから、本当に「手帳が白い」わけではありません。
自分の手帳がコンサートやオペラで埋め尽くされた時、ようやく僅かに安心できたような気がしていました。それもつかの間・・すぐに1年後やそれよりもっと後のことが気になり始めて落ち着かなくなるんです。重症でしたね。
それが 40代終わりに差し掛かるころ「苦しみ」が絶頂に達し、あまりの苦しさに、苦しみそのものを投げ捨ててしまいました。
「投げ捨てる」というと積極性を感じますが、実際は「もういいや、全部そのまま受け入れます。もうバンザイします。」という感じでした。
一言でいえば「諦めた」ということですが、「明らかに見る」からこそできるのが「諦め」なんですね。
明らかに見たくないから、苦しいんです。文句を言いたい気分になるんです。
それからの私は「夢や希望を持たなくなってしまい」、心は楽なのですが「これでいいのか私?」「いやいや、これでイイのだ!」の自問自答の時期を迎えました。
そして、自己批判に陥りそうになるたび「これでイイのだ!」を繰り返すうち、「これでイイのだ!」が普通になってきました。
不安感や焦燥感を持っていようと持っていまいと、起きることは起きるし、夢や希望をいくら追ってみても、かなわないものはかなわいのです。
もちろん努力に即した結果はあるし、さぼっていればそれなりの結果を甘んじて受け入れるしかありません。
人生には自分の表層の意識が分かっているより深い流れがあります。
その流れは生まれる前に自分で決めてきました。
それを忘れて生きているのが私達です、
うまく流れているときは本来の流れに沿っているときです。
でも努力だけではどうにもならない流れだってあるんです。
それをすべて思い通りにしようとするところから人の苦しみが始まります。
「思い通り」と私たちが思うことの中には、自我(エゴ)の思いがけっこうあります。
エゴの思いは達成したとしても、また苦しくなります。
それは価値感を自分の外側に求めているからです。
本当に必要じゃないものを求めているからです。
内側で起きていることの反転が外側で起きることです。
でも私たちは外側が内側を決めているような気になっています。
「明らかに見る」ようにすると、外側は重要ではなくなってきます。
そこではじめて内側に意識がいきます。
内側に意識が行けば、内側の意識を変えることが出来ます。
内側を変えると面白いように外側が変わっていきます。
外側からから見た外側ではなく、内側に映し出された外側、あるいは外側に映し出された内側とも言えます。
ここで初めて、不安感や焦燥感・・怒りも苦しみも他への苛立ちも・・すべて自分の内側で起きたことが外側に映し出されていたことが分かります。
・・最近の私はレッスン時の心のあり方に注意を払っています。情熱的?なレッスン形態は変わりませんが、自分の心を変えました。
中心に「祈り」を据えました。
何に祈るかって?
それは自分と生徒のハイアーセルフや守護霊様にです。
「私はできる限りのことをお伝えしますが、後はよろしくお願いします。」って感じですかね。。
レッスンの喜びが倍増しました。
内側と外側が反転しました。。
それでは皆さん、ごきげんよう!