こんにちは!!
八ヶ岳南麓にも少しづつ春が近づいている今日この頃です。
のっけから暗いタイトルでどうしちゃったの??・・と心配してくださる方がいるかもしれませんが、私は概ね元気ですからご心配なきようお願いします(笑)
ここ2ヶ月くらい、YouTubeに過去の演奏動画をアップする作業をしています。
今ちょうど1994年あたりまでアップしていて37歳の自分と対面しているところです。
30年近く昔の自分だから若いのなんのって・・当たり前ですね・・
昔の録画を見てると(聴いてると)、37歳の自分に戻ってしまい「その気」になってる自分がいるんです。
その気って?!・・つまり今の自分を忘れるというか、その頃の自分になりきってしまうというか・・
まあそれはそれで気分的に若返るから良いのですが、現実の自分を直視した時のギャップがこれまた大変なもので、はっきり言って辛いものがあります。
歳とともに声の艶が失せ、思うように歌えなくなっています。
色々工夫して練習するんだけれども、坂道を転げ落ちるのを止められません。
ほんの短い曲でも集中力が持たなくなっています。
集中力が持たないのは歳のせいもありますが、声を支える腹筋や背筋の持続力がなくなってるせいもあるかなあと、ダンベルを持ち出して筋力アップ試み始めたところです。
あっこれ!痩せたい訳じゃなくて、絵がわかり易かったので使わせてもらうことにしました。
ああ、何という執着なんだろう・・ここまでしてまだ歌いたいの?
今思い出しましたが、時の藤原歌劇団総監督の五十嵐喜芳先生とカルメンのハイライトをあちこちで歌わせてもらっていた時期がありました。30代半ば頃です。
ホセはもちろん五十嵐先生でした。
そのころの先生のお歳は今の私より少しだけ若かったけれど、オペラの舞台はすでに引退されていました。
奥様がマネージャーとしていつもいらしてて、その奥様の厳しいことったら・・
「もう声が揺れてるんだから歌っちゃダメですよ!」
まあ確かに、先生の声は船に乗っているのかと間違えるほど揺れていました。
五十嵐先生はご自分の声の事をよく分かっていらっしゃったと思います。
でもとっても歌いたいかったんでしょうね。
当時の藤原歌劇団で正月恒例の<椿姫>では伝令の役で突如舞台に出てきたり、全国を巡業していた<蝶々夫人>では、ピンカートンを待ち侘びる蝶々さんとスズキが影絵のように舞台に映し出されるシーンでの陰コーラスに混じって歌ったりなさってました。
大揺れながらも良く通る先生の声が妙に目立っていて、舞台で影絵のように止まっていたスズキ役の私は吹き出しそうになるのを必死でこらえたのを懐かしく思い出します。
あの時、先生は声楽家として最後の足掻きをしてらしたんだと思います。
それは後に、先生の自伝を読ませてもらって知ることになりました。
声の衰えを少しでも食い止めようと、陰で必死の努力をされていたのです。
その時の先生のお姿と今の私が重なります。
夫から「自己満足の酷い声と歌!!」と揶揄されても、まだ歌うことを諦められないのです。
命懸けでやってきたことが声楽でなければ良かったのに!!
絵描きならまだ描けるし、楽器奏者だったらまだ弾ける・・
もうずいぶん下手になってしまったけれど、まがい也にもプロとして歌ってきた身としては、これ以上酷い歌をお聞かせするわけには行かないなあ・・というのが率直な気持ちです。
どういう形で自分に落とし前をつけて行くのだろうか・・
同世代の声楽家はいったいどんななのだろうか・・
歌を何かの形に昇華させることは出来るのだろうか・・
長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。
それではおやすみなさい。
Naomi〜Vissi d'arte Vissi d'amore
https://www.youtube.com/channel/UComGYECetT5Se9ZZX-DA9CA