NAOMI〜エメラルドグリーンのクレフ2

半農半Xを目指して。過去ログ2006~2013:http://blog.goo.ne.jp/n_aomi1214

徒然に・・

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八ヶ岳北杜市観光協会ライブカメラ

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富士山(北杜市観光協会ライブカメラ

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甲斐駒ヶ岳北杜市観光協会ライブカメラ)・・どれもライブカメラの時間が狂っているようです。10:15頃の映像のはずですが・・。

 

おはようございます。

本日の座間地方は快晴☀☀☀

昨夜の東京湾沿いの地震で座間も揺れました。

震度4くらいでしたでしょうか?

久々にドキッとしました。

グラッとするたびに「とうとう来たか!」と覚悟するのですが、震源が近場のわりには80キロの深発地震だったのでそれほど揺れが大きくはなりませんでした。ホッ!!

 

昨年6月から毎月、北杜市大泉町の古民家に通い始めましたが、1月と2月は行かないことにしています。

寒すぎて行っても何もすることがないからです。

でもあちらの様子が気になるので北杜市観光ライブカメラを毎日チェックしています。

冒頭の3枚の写真は大泉から撮影しているので、遠くにいながら山の季節感を楽しむことができます。

今日はいかにも寒そうですね。

この季節、最低気温がマイナス7~8度くらいに下がる日もあるようです。寒っ!!

そういえば12月の初めに大泉に行った時、家の北側の日が当たらない場所は日中でも霜が降りてました。

大泉の家で老後を過ごすことになるので、何が何でも暖かい家にしないといけないですねえ。

・・

話しは変わりまして、こちら座間もそれなりに毎日寒いです。

お隣の海老名市に観測地点があり最高最低気温が出るのですが、神奈川県では最も厳しい?気候のようです。横浜より平均気温が1.3度ほど低く、そのくせ夏は神奈川県での最高気温になることが多いです。内陸性気候なんですね。

我が家は海老名市にほど近い地区のため、ほぼ海老名と同じ気候と思います。

関東地方とひとくちに言っても、広いから色んな気候があるし、全国的に人気の高い神奈川県でも小田原市は温暖でも、相模原市の山間部は寒冷地なんですよね!

・・

この寒さと、雨がちっとも降ってくれないのとで、菜園の野菜たちはさすがにグッタリしはじめてしまいました。

今日もエッチラオッチラ畑に水を運ぶことにしましょう。

それでは皆さん、良い一日をお過ごしください!!

 

レッスン初め

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1月4日、14:37の南西の空・・東南〜西北に横たわる太い雲

 

こんばんは!

正月三が日が明けました。

いよいよ2018年がスタートしました。

私も本日がレッスン初め。

新国立劇場合唱団で歌っている生徒が、新年早々に次年度の契約更新がかかったオーディションがあるということで仕上げのレッスンをしました。

私もいつもではありませんが、40才すぎくらいまでは役を取るためにオーディションを受けることがありました。

オーディションは試験ですから緊張するし、落ちたら落ち込むし、まあ嫌なものでしたね。

現役を引退し、舞台にまつわる様々な苦労や苦しみから解放されました。

が一方、メリハリがなくなったのも確かで、これから迎える老後の暮らしにどうやってメリハリをつけていくのか気になるところです。

心の中にはおぼろげなビジョンが見え始めているので、きっといつかは現実化するでしょう。

内容はヒ・ミ・ツ!!

実現し始めれば、数年後にブログに書いているだろうと思います。

・・

ところで、ゆっくりな生活は良いけれど、長い休みは考えものですね。

仕事が始まりホッとしている自分がいます。

 

それでは皆さん、お休みなさい ☆zzz☆

2018年正月によせて

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2018年1月2日15:45頃、西南の空に現れたドラゴン・・火を吹いています!!

 

あけましておめでとうございます。

こちら座間地方の2018年は穏やかに明けました。

年末に大掃除で疲れたのを良いことに、元旦・2日とも朝寝坊してしまいました。

「一年の計は元旦にあり」と言うけれど、朝寝坊の一年になるのだろうか・・

それだけはイケマセン!!!

 

話しは変わりますが、私には龍神がついています。

それも和風な龍ではなく、厳ついドラゴンなんですよ。

今日、ふと見た空にそのドラゴンがいました。

どうです、迫力あるでしょう!!

今年はある意味、勝負の年になるので応援に来てくれたのではと、勝手に解釈しています。。

勝負というと大げさですが、夫婦のこれからの生活の基盤となる大きな決め事をします。

春先までが一つの山場で、緊張感とワクワク感が混ざった高揚感があります。

・・

また今日は、丹波篠山のJiroさんこと川崎二郎さんから年末に送っていただいた黒豆を煮ています。

同封のレシピに沿って作っていますが、けっこう時間がかかるようです。

まず沸騰させた湯に砂糖・塩・醤油・重曹を分量入れ、洗った黒豆を5時間ほど浸すことから始まります。

次に足し水をし、落とし蓋をして5〜7時間コトコト煮ます。

取りかかるのが遅かったから今日中にできるかなあ・・

まあ気長にやりましょう!

 

年末からマルセル君が体調を崩していて一緒にお酒を楽しめなくて残念でしたが、お正月に厄落としということで、きっと良い年になると思います。

 

自然災害や北朝鮮の脅威など不安要素が盛りだくさんの昨今ですが、心穏やかに過ごすことが大難を中難小難にすると思います。

 

皆様、お健やかに心穏やかに2018年を過ごされますようお祈り申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

2017年大晦日

おはようございます。

2017年も大晦日となりました。

皆様はどんな一年を過ごされましたでしょうか?

 

私はここ数年の平たんな年月に比べ、変化・・変化の兆しがキーワードとなるような一年でした。

3月に千葉大学の非常勤講師を辞め、大学で教えるという仕事から完全に身を引きました。

4月からは市民農園を始めました。

6月に北杜市大泉町の古民家に出会い、9月に購入しました。

6月以来大泉通いが始まり、自然豊かな里山暮らしをプチ体験しています。

とは言え、築140年あまりの古民家は埃だらけ隙間だらけ、おまけに傾いていてとても住めるものではありません。

ですので宿泊はペンション。

早ければ来年の秋から改修工事に入るので、年明けには建築家や工務店の人たちに会い、施工業者を決め、打ち合わせが始まります。

古民家改修は新築より費用がかかり、工期も長いです。

再来年の年号が変わる頃に完成予定で、しばらくはセカンドハウスとして利用することになります。

老後は自給農で暮らすのが長年の夢でしたので、奇しくも今年はその一歩を踏み出す年になりました。

ほのかな夢でも、実現に向けて動き出すときがあるのを実感した年になりました。

来年は私にとって慌ただしい年になると思いますが、もちろん歌の先生の仕事は引き続きがんばります。

 

今年もつたないブログに訪問してくださり、本当にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

感謝

 

 

 

 

徒然に・・

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この雲、気ままな感じでいいなあ・・

 

こんにちは。

本日の座間地方は晴れ☀☀

暖かな小春日和になりました。

ただ今、午後4時半を回りましたが二階のリビングは暖房なしでポカポカしてます。

 

昨夜ようやく雨が降り、畑の作物はホッとしたことでしょう。

が・・トンネル栽培している野菜には恵みの雨にはなりませんでした。

なんてこった!!

ビニールトンネルが雨よけの役割をしてしまいました。

昨日のうちにトンネルを開けに行けば良かったのですが、換気扇の掃除をしていたら行く時間がなくなってしまいました。

なので今日もエッチラオッチラ水を運び、ようやく芽を出した野菜の苗に水やりをしました。

やっぱり畑は気持ちいいですね。

水やり以外は大した用事はありませんが、ボヤッとたたずんでいたくなります。

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種から育てたカリフラワーがちょうど収穫時になりました。

茹で立てを醤油とおかかで和えると美味しいですよ!

カリフラワーがあまり好きでないマルセル君も喜んで食べてくれました。

ところで、無料の生年月日占いによると、私は植物なんですって。

どうりで土や植物の仲間と一緒にいるのが好きなんだね〜。

 

大掃除をいっぺんにやりたくないので、時間を見つけて細切れでやる予定ですが、今日予定のトースターとレンジの掃除がまだ出来ていません。。

ガンバルンバ!!

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

face bookに投稿しています。

 

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こんにちは。

本日の座間地方は晴れ☀☀

晴天なのはいいけれど、畑が水不足気味です。

トンネルに蒔いた種が発芽し今が一番水が欲しい時なので、二日おきにエッチラオッチラ水を運んで水やりをしています。

クリスマスイヴの夜間に雨が降るかも・・という予報がありますが、どれだけ降るんだろうか??

ところで、ここ最近face bookへの投稿を増やしています。

いままで毛嫌いしていたけど、案外手軽で良いです。

ただ・・今のところ遠くの知り合いとだけ繋がることにしていますので、友達申請は基本お受けしていません。

投稿は公開していますので、気が向いたらお立ち寄りくださいませ。

それでは皆さん、良い一日をお過ごしください!!

www.facebook.com

別れは誰にでもやって来る

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今朝の龍雲・・右が頭です。。

 

おはようございます。

本日の座間地方・・雲が多いながらも晴れ☀☀のお天気になりました

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西南の方角からは地震雲っぽいのもでています。

 師走も半ばを過ぎ、そろそろ出来るところから掃除を始めようと思っているのですが、普段の掃除以上にはしたくない気もして重い腰が上がりません。。

 

今年はブログを通じての素敵な出会いがありました。

丹波篠山にお住まいのJiroさん・・ジロ爺さんこと川崎二郎さんです。

亡き父と同い年で、今年89才になられました。

出会いは一月の下旬でした。

私は趣味で菜園をしている方のブログが大好きで、自分でも実践しているEM農法で検索して出会いました。

日々の日記風に書いていらっしゃいますが、何だかとても惹きつけられるものがあって、コメントをしたのが交流のきっかけでした。

たまにメール交換したり、EM農法の実践記をくださったり、私のコンサートの録音を送ったり、丹波篠山の黒枝豆をいただいたりと、細々ながら繋がらせていただきました。

そんなJiroさんに異変が起きました。

10〜11月初め頃のブログに老々介護が大変という記事が載りました。

そういえば夏ぐらいからお昼のお弁当の宅配を息子さんが手配してくれたとの記事があり、奥様の具合がよろしくないのかなあと気にしていましたが、Jiroさんの姿を撮影してるのは奥様だし、折に触れ奥様の話題もあったので安心していました。

11月半ば・・その日も突然でした。

「身内に不幸がありしばらくブログを休みます。」と掲示がありました。

まさか!とは思いましたが、二週間ほどしてコメントをしたら、やはり奥様が亡くなられたとのことでした。

一緒に昼食を食べ、Jiroさんがテレビをつけに席を外したその時に倒れて帰らぬ人となってしまったとのことです。

Jiroさんより8才年下、まだ81才でした。

言葉にならない言葉を絞り出してメールしましたが、伴侶を失った悲しみを思うと本当のところは何もかけられる言葉はないと分かっていました。

・・

ふり返って・・私の父も63才の時に8才年下の55才の妻(私の母)を亡くしました。

私も本当に辛かったけれど、父の胸中は筆舌に尽くしがたい悲しさと寂しさでいっぱいだった思います。

でも私は自分の気持ちに精一杯で、父を分かってあげることが出来なかったのです。

伴侶を亡くし精神的に不安定になり当たり散らす父を嫌がって、距離を置いてしまいました。

自分の未熟さゆえに、心さえ寄り添ってあげることが出来ませんでした。

自分の父に詫びる気持ちもあって、余計にJiroさんが気がかりなのかもしれません。

・・

そんなJiroさんですが、一ヶ月たって少しずつ元の生活ペースに戻りつつあるようです。

「生きる」という情熱も取り戻されているようです。

でも、いままで二人でやってきた農作業は一人でこなし、夕食もひとりぼっち・・洗濯は乾燥機つき洗濯機が便利で良いとおっしゃていますが、こころの寂しさ・空しさがひしひしと伝わって来ます。

コメントしようと思いましたが、何と書いたらいいのか、言葉がありません。

・・

生きている限り、必ず出会いと別れがあります。

誰ひとりとして、別れの苦しさ・辛さから逃れられることは出来ません。

だからこそ、伴侶はもちろんのこと、心を通わせることが出来たお弟子さんや友人と大切に付き合って行かなければと、心の底から強く思います。

Jiroさんのブログ

blog.goo.ne.jp

 

それでは皆さん、今日この辺で。

 

 

 

私は左利き

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左利きと右利きの脳の使い方

 

こんにちは。

本日の座間地方・・雲が多いながらも晴れのお天気になっています。

 

昨日、試験の休憩時間に控え室でポットからコーヒーを注いでいたとき、先輩の先生から「あれ、左利きなの?」と聞かれました。

そうです!!

何を隠そう、私は左利きなんです。

でも子どものころ、箸と鉛筆の持ち手を右手にするという練習をさせられたので、箸と鉛筆は右で使います。

大豆を箸の先で取って器に移すという厳しい訓練の結果、ワタクシの箸使いは上手な方なのではと思います。

その流れで包丁も右手を使います。ハサミは本当は左手を使いたいのですが、一般的に右仕様のため右で使うのが習慣になっています。でもカッターナイフは左で使います。

左利きは人口の9割の占める右利き仕様に合わせた形で生きているのが実際のところです。

が・・

針や汁物のお玉などは左でしか使うことが出来ません。

あと、日常のもろもろは全て左手というのが普通です。

鉛筆は右手で消しゴムは左手で使います。

ふと気がついたのですが、左利きで生活するのが不便なため、左利きをあまり良くないことのように思っていたフシがあります。

たとえば駅の改札・・カードを読み取る機械は右にあります。

私は右で持つことが出来ないので、左手を交差させて右側の機械に当てています。

実はそれを少し恥ずかしいと思っていました。

日常の道具は全て右利き用に作られていて、左利きの私はそれに合わせて対処しなければならないので、生活そのものへの感覚が右利きの人とは違っているんじゃないかと思います。

 

オペラの舞台でも左利きゆえに大変なことが色々ありました。

扇子を右手で持つとか、数え挙げたらきりがないほど、舞台のたびに左利きゆえの不便さと対峙していました。

一番困ったのは、新国立劇場ヴェルディ作曲「ナブッコ」というオペラで姉役のアビガイーレ(私はフェネーナ役)と剣を交えるシーンでした。

相手役が外国の方で、通し稽古の直前に来日し、ほとんど練習する間がありませんでした。

自分で稽古していったのですが、右手に剣を持つことが出来てもそれを上手く使うことができません。

大学の授業でフェンシングをやったことがありましたが、その時もとても苦手でした。

私には才能がないと決め込んでいましたが、今考えれば右利き用のやり方で左利きの私が上手く出来るはずがありません。

本来の自分に合っていない動きを無理矢理するわけですから、上手に出来るはずがありませんね。

運動神経は良い方でしたが球技が全くダメなのは、右利きの選手と同じ動きを訓練させられたからなんだと思いました。

ボールを投げるのが下手なのも、バレーボールのサーブが下手なのも、左手での投げ方を教えてくれる人がいなかったからです。

私が育った時代は左利きへの理解がなく、矯正したり隠したりするものだったんですね。

そんなもんだと生きてきましたが、最近は左利きで堂々と生きている人が多くなりました。

左利きは社会的マイノリティーなんですね。

脳の使い方も多分、右利きの人たちとは違うと思います。

もう一つ付け加えると、左利きは右利きより9年も短命なんですって!!その理由は・・

右利き仕様の車とか、色々・・左利きには合わないことが多すぎて事故に合いやすいからとか・・ホントでしょうかねえ?

何だか、いつも世間と違う感覚を持ってしまう理由が分かったような気がします。

それでは皆さん、今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

音楽ビヤプラザライオンのこと・・

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音楽ビヤプラザライオンの店内

 

こんにちは。

本日の座間地方は晴れ・・朝のうちはストーブを焚きましたが、日中は陽の光がサンサンと入り暖房なしでも暖かく過ごすことができます。

 

さて、銀座の音楽ビヤプラザで歌っている歌手から、ビヤプラザが30周年を迎えるにあたって作成する記念誌への寄稿を依頼されました。

音楽ビアプラザはクラシックの音楽家の演奏を聴きながらビールや料理が楽しめる、当時としては画期的なお店でした。

私はその創立メンバーの一人でした。

1988年の話しです。

1986年に藤原歌劇団本公演「カヴァレリア・ルスティカーナ」のローラ役でデビューを果たし次々に公演の依頼が入り傍目には順風満帆だったにも関わらず、若くて歌いたい盛りの私は「もっと歌う場が欲しい」と思っていました。

そんなおり、たまたま歌手の公募を「音楽の友」という雑誌で知り、オーディションを受け歌うことになりました。

一ヶ月ほど稽古期間がありいよいよ開店・・

開店時期は忘れてしまいましたが、それから多分10ヶ月に満たないほどの期間、1989年2月まで歌っていました。

音楽ビアプラザで歌い始めてまもなく、藤原歌劇団で「椿姫」のオーディションがあり、メゾソプラノの私はフローラ役で受けました。

オーディションに合格し、おまけに海外研修の奨学金まで出してもらえることになりました。ただし奨学金は研修に行く際に支給され、また1年以内に渡航することという条件つきでした。

私は歌う場は欲しかったけれど酒場で歌うというのは性に合わなかったので、あっさり音楽ビアプラザを辞めイタリアに旅立ちました。

奨学金は1年間イタリアで暮らすには不足する額でしたので、その時は半年で帰国しました。

(この後、1994年に文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間正式にイタリア留学をしました。)

帰国してみると直ぐには仕事がなく、音楽ビアプラザから戻っておいでと声が掛かったこともあり、再び歌うことにしました。1989年8月頃の話しだと思います。

こんな私であるのに、何故か人気があり、ビアプラザで歌っている短い間に二回も私を主役に「カルメン」を上演し、立ち見が出るほどのお客さんがいらっしゃいました。

また新潟や函館など地方のサッポロライオンのお店のイベントに招かれ、楽しい思いを沢山させてもらいました。

しかし1990年の2月に完全に辞めてしまうことになります。

1991年にNHKモーツァルトイヤーの「魔笛」のダーメⅢに、当時のN響指揮者のサバーリッシュ氏自身によるオーディションで出演することになり、その流れでNHKニューイヤーオペラコンサートで歌うことになったりと、本格的にオペラ歌手として活躍が始まったのと、母から「自分の大切な歌を安く売ってはいけない」というような意味のことを言われ、自分なりに納得したからでした。

・・

話しは音楽ビヤプラザに戻りますが、クラシックの歌手の活躍の場としては良いのではないかと思います。

ただし私は声の無駄遣いへの危機感と、酔客に声をかけられることへの嫌悪感が強すぎてダメでした。

にもかかわらず・・自分で言うのもなんですが、人気ナンバーワンだったんですよね・・花形歌手だったみたいです。語りぐさになっているそうです(笑)

ファンのグループが幾つかあって、美味しいお食事をたくさんご馳走になりました。

自分の意識と世間の認識ってずれてるんですね。。

30年の間には色んな歌手がステージに立ったと思いますが、ごく初期にわずかな期間しか歌わなかった私に原稿の依頼が来るのも不思議です。。

・・

原稿どうしようかな・・自分の心はいつも違う所にいたから、あまり戻りたくない記憶だしね。。本当のことも書けないし・・正直な私は困っています・・。

それでは皆さん、今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

古民家と金生遺跡

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大山にかかる龍雲

 

おはようございます。

本日の座間地方は晴れ☀☀☀

洗濯日和りになりました。

 

今週は6日7日と大泉の家に行きました。

12月ということで、用心のためスタッドレスタイヤを装着してのドライブでした。

我が家の車は大型乗用車のためタイヤが太く大きく、スタッドレスの値段が高いです。

一冬でほんの数回しか乗らないのに正規の値段で買うのはもったいないと、ヤフオクを調べたら家の車にピッタリサイズの中古タイヤがオークション中でした。

さっそくオークションに参加してゲットしました!!

油圧ジャッキも買ってタイヤ交換の準備万端!・・と思いきや、ホイールが純正でなくネジが合いません。。なんてこった!!

特殊なサイズのようで、カー専門店やタイヤ専門店に問い合わせても在庫なし・・

あさって出かけるのにどうしよう・・

ようやくアマゾンで見つけ、翌日には届くとのこと。

そんなわけで、出かける前日の夜に無事タイヤを装着することが出来ました。やれやれ。(もちろんやったのは夫のマルセル君です)

当日は快晴でスタッドレスは必要ない気もしましたが、何しろ標高1050メートルのペンションに泊まるのだから、スリップして事故でも起こしたらシャレになりません。

 

で・・大泉町かいわいの気温を一言で言えば「冷たい」です。

風があるし、12月でこんなんでは真冬はどんなんだか、と思いました。

ペンションはセカンドハウスから車で10分足らずのところですが、大泉の家が標高850mにたいして標高は1050m、気温にして1.5〜2度ほど違います。

泊まった日はマイナス4~5度まで下がり、寝てて凍えました。。

八ヶ岳南麓の裾野にある北杜市は南への下り坂(北への上り坂)の地形で、市内でありながら気候や植生が違っていて自然の変化に富んでいるんですね。

・・・

今回は古民家を改修して住まわれている方のお宅を拝見させていただきました。

同じ古民家でも住み手のセンスによってずいぶん違うなあと感じました。

私が素敵だと感じたのは、熟年ご夫婦の住まいでした。

ご主人がコンクリート住宅の建築家だった方で、古民家の基礎や構造や屋根などは専門家に依頼し、中はセルフビルドで作ってありました。

都心で建築家をなさっていただけあってセンス抜群、薪ストーブの余熱を床下に通しジンワリ温めるというパッシブ住宅はご自分で工夫して手作りのものです。

北杜市に定住して4年ということでしたが、古民家の広い庭にあるかつての養蚕小屋の一つを工房にし、隣の小屋をオフィス風の住まいに改修中・・など日々の手作りを楽しんでいらっしゃり、とても素敵なご夫婦でした。

北杜市にわざわざ移住してくる方というのは、自然や生きとし生けるものに対する畏敬の念を持っていらっしゃる方が多いように感じます。

その方も太陽光パネルの害(経年劣化で鉛が流れ出す・農地に設置した場合その土地はもう二度と農地に戻せない・もし山に設置したとしても流れ出した鉛が自然界の動植物に及ぼす害は計り知れない)や、動物虐待の惨状を発信していらっしゃいます。

今回勉強になったのは、太陽光発電は本当の意味では地球に優しくないということでした。

地球になるべく負荷をかけないで生活するって、本当に難しいことなんですね。

行き着くところはやっぱり「出来る事からコツコツと」です。

生ゴミを堆肥化して土に返す。

♪ 出来るだけ手作りする。

♪ 歩ける距離は歩く。

♪ 化学的なものはなるべく使わない。摂取しない。

♪ 電子レンジは使わない。

♪ 心身の健康を心がける。

当たり前のことのようですが、現代生活の中では意識しないとこういう生活は出来ません。

今回は、大泉の家から歩いて12~13分のところにある縄文時代の「金生遺跡」も訪ねました。

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国指定の史跡:金生遺跡

金生遺跡縄文時代の集落跡や祭祀施設と、中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡。

山梨県北西部に位置し、八ヶ岳南麓の尾根上に立地する。標高は760-80メートル付近。旧大泉村域の最南部に位置し、縄文遺跡が集中する北側をA地区、中世の遺跡が集中する南側をB地区として区分されている。

A地区の縄文遺跡では、住居址群と配石遺構石組など埋葬施設や祭祀施設が複合した遺跡であることが特色とする。八ヶ岳山麓縄文時代の遺跡が濃密に分布する地域で、富士山奥秩父連山をはじめ、後世に信仰の対象となった山々を望むことができる立地にあり、北杜市大泉町域でも縄文前期後半の天神遺跡をはじめ大規模な集落遺跡が見られ、祭祀的遺構も多い。

金生遺跡は気候が寒冷化し遺跡数も減る縄文後晩期の遺跡で、山梨県内でも同時期には集落跡と祭祀施設が複合した遺跡が出現している。

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石組みは発掘されたままの形で保存されている。

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住居内部・・入り口は低くいが中は人が立つことができる。土にワラを混ぜた壁を漆喰仕上げにした壁と藁葺き屋根で、わりあい暖かい。中央で火をたいた。

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ここで祭祀が行われた。

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金生遺跡から見た八ヶ岳

ちなみに大泉の家も「吉指遺跡」に指定されています。

土を掘ると普通に石器や土器のかけらが出てくるようです。

・・大泉に行くと普段の生活とはあまりに違う環境なので、戻ってから「寝ぼけている」ような感覚が残ります。

昨日もオペラ研修所の授業だったのに、なんだか頭の中がフワーっとしているような感じでした。

今日は少し現実に戻りましたが、心だけが宙に浮いています。。

 

それでは今日はこの辺で、

良い一日をお過ごしください。