昨日の空
こんにちは。
本日の座間地方は雨☂☂
どんよりとした空模様です。
今朝の空
・・
我が家のピアノは年に二回調律しています。
使用頻度が高いのと、古いということで、二回の調律はかかせません。
東京芸大に一浪して入ったお祝いに父が買ってくれたもので、今年で43才のピアノです。
おじいさんです。。
10年ほど前から、オーバーホールするか買い換えてはどうかと言われ続けながらも、通常の調律で問題なく弾けていました。
それが再び、先日の調律の際に修理の話しをされ、「やっぱりオーバーホールしたほうがいいのかなあ」という気持ちになりかけました。
たまたま調律のあとレッスン伴奏で来たピアニストのABさんに、その話をしました。
すると、
「先生、修理って中を取り替えるってことですか?」
と聞いてきました。
「ピアノが、自分はまだ使えるのに中を取り替えられると聞いてショックを受けてます。ピアノにとっては内臓を大手術するようなものですから、すごく拒否してます。」
・・ピアノに意識があるのは何となく感じていましたが、まさかここまで明確に意志を伝えてくるとは驚きました。
・・そうか、ピアノとちゃんと話しをして納得してもらわないとオーバーホールできないなあ・・
その夜ピアノと話しをした時、一つの思いが湧いてきました。
「もしピアノを修理したとしても使う私の方が年取っていくから、生まれ変わったピアノを十分に使ってあげられないかもしれない。だったら嫌がるピアノを無理矢理オーバーホールする必要が本当にあるのだろうか・・」
何となくモヤモヤした気持ちになりました。
数日後、植物など人間以外のものと交流できる力があるお弟子さんのTさんにピアノのことを聞いてみました。
すると、やはりABさんと同じようなことを言いました。
「先生、本当に修理しないといけないんですか?古いかもしれないけどちゃんと音が出てます。今まで通り、必要な時に必要な修理をするのではダメなんですか?ピアノがそう言ってます。」
やっぱりそうか・・ピアノ自身はオーバーホールの必要がないと言ってる・・。
Tさんとの話しの中で、現在の調律師は私のピアノとピタッと来ていないということが分かりました。
ちょっとハートが足りない・・のかな?
その調律師はもう20年の付き合いですが、実を言うと私も何となくしっくりこない感じの人なんです。
悪い人じゃないんだけど、何かモヤッとする感じがしてしまう。
でも親しく付き合うわけではないので気にしないでいました。
ピアノと会話するようなつもりでTさんのレッスンをしていると、ピアノからのメッセージがハートにジワジワ伝わってきました。
それは
「あるがままに、ピアノも私とともに年を取るのが自然である。」
ということでした。
生涯のパートナーであるピアノばかりが若返っても、お互いに幸せとはいえないと思いました。
人間である私の身体が古びたからと言って内臓や骨を取り替えたりはしません。
出来るメンテナンスをして健康寿命を延ばすことくらいしかできません。
私のピアノだって同じです。
それを中身を全取っ替えしようと思ったなんて、なんて身勝手な考えだろうと思いました。
私には子どもがいませんから、自分の命とピアノの命は同じ長さでいいんです。
もし私のあとにピアノを使ってくれる人がいたなら、その方に次のことは託そうと思いました。
それが分かって、私は心からの涙を流しながらピアノに謝りました。
それでは皆さん、この辺で。