おはようございます。
本日の座間地方は相変わらずの梅雨空が、ところどころ明るさがあります。
昨日は彫刻家の義兄の展覧会に行きました。
(義兄はわが夫の三学年先輩で、夫が入学した年に夫の二番目の姉が芸祭に遊びに来た時に知り合い結婚しました。)
芸大の同じクラスの仲間5人で卒業以来40数年続けている会です。
いつもは銀座の画廊でしたが、今回は戸越公園駅そばの場末のボロ画廊での開催。
その画廊はメンバーの自宅ビルの一階を改装したもので、そこが近隣の建物を含め再開発され新たなビルになるため、今年が最後ということでそこでの開催になったようです。
今は知りませんが、私の時代の芸大は(とくに美術学部は)浪人生の巣窟でした。
義兄は駒ヶ根の人で現役入学ですが、ほかのメンバーの年齢は様々・・一番年上は70才過ぎと思います。
ところで、義兄の両親は99才と95才、頭がしっかりしている父親のほうが頑として施設への入居を拒み、やむなく自宅で介護していますが、もう8年も駒ヶ根の実家で義兄が一人で介護をしています。母親はアルツハイマーということで、介護の壮絶さは推して知るべしです。
そんな訳で作品を制作する余裕がなく、介護生活に入ってから展覧会への参加を諦めざるを得ませんでした。
それが友人の画廊を閉める記念の展覧会ということで、姉妹や妻である義姉の協力を得て8年ぶりの参加となりました。
義兄はなかなかユニークな人で(芸大の美術に行くような人はユニークな人ばかりですが・・)野山を駆けまわるタイプの自然人=野人です。
彫刻家としても才能が買われ、官公庁や公園などのモニュメントを数多く手がけています。
それはさておき、私はこの義兄が大好きで(本人には言ってませんが)、好きすぎて会うと必ず喧嘩のような口論をしてしまいます。
「もう一つの世界」と題された二作品・・義兄は「人間とはなんだろう」といつも考えていると言う・・
葡萄の房に見えるのは「有精卵」になっている。これらの作品に対して能面の君は「鉛筆はどの濃さまで使ったの?」と聞いていた。 義兄「6Bまであるけど、あえて4Bまでしか使っていない。」 能面「もうちょっと濃い黒があると見え方が違うんだけどな。人に見せようとしてないんだね、凄い!」
・・何が凄いんだ?これは暗に作品への批判・・こういう言い方もあるんだ。男ってタヌキだ!
・・
昨日は彼の鉛筆書きの「もう一つの世界」と題された作品について、私なりに感じたことを質問していたら、他のメンバーも含めて興奮のるつぼに入ってしまいました。
私は空きっ腹にお酒を飲んだというのもあって、自分の饒舌と興奮が止まりません。
宇宙だの魂だの、皆んなの目が点になってしまうような訳の分からないことを叫びまくり、誰彼かまわず反抗し・・(にもかかわらず冷静に俯瞰している自分もいた!)・・暴れまくってしまったのです。
メンバーのひとり(奈良女子大の名誉教授:今は能面を作品として制作している)は普段は柔和で落ち着いた人であるのに、私の大爆発に触発され噴火してしまい、ほんとケンケンガクガクの騒然とした修羅場?!となりました。
夫マルセル君もマルセルデュシャンがどうのこうの・・と訳の分からないことを叫びまくっていました。(この人の言うことは当事者じゃないから説得力がない。古民家のアトリエで制作してくれることを妻は心から願っている!)
要するに、みんな酔っ払っていた!!
60~70才のジジババの集まりとは到底思えない凄まじき様相!!
能面の君は噴火しながら面白がっています。
「最近みんなマンネリというか、当たり障りない感じだったのが、久しぶりに本音が出た!これは面白い!!」
永遠に使えない機械のような作品・・この作風は昔から変わらない。
「懺悔の時」と題された作品。横たわるのは男性。
2011年の東日本大震災の直前に描いた予言的作品・・津波と噴火。ずっと発表出来なかったという。展示のコンディションが悪すぎて照明が写り込んでしまった。
・・
胃を全摘出した画廊の主は、私たちの興奮をおさめようと
「シーッ!」
「近所迷惑だからもうお開きにしましょう!」
ということで、興奮したまま解散となりました。
ジジーたちは私と話すの(というか爆発?)が面白いらしく、どっか行こうかという雰囲気になっていましたが、やはりシニアは健全に?帰路についたのでした。
こういう場面、若い頃にしょっちゅうあったな・・
62才にもなってちっとも変わっていない私。
じゃじゃ馬ババアのワタクシ・・
朝、すっかり冷静さを取り戻した私は、少なくとも大騒ぎして迷惑をかけた画廊のオーナーには謝らねば・・と深く反省しているところです。
(注:この画廊の主は小淵沢に別宅があり、わが古民家のご近所。こんど遊びに行かせて下さいといった手前、関係を改善しておかないとマズイのです。。)
それでは今日はこの辺で!