昨日の夕方の空・・写真に写った太陽を眩しく感じるのは、写真に撮ってもまだ眩しさがあるからだろうか・・あるいは、撮った時の感覚を脳が記憶しているからだろうか?
こんにちは!
本日の座間地方・・雨がシトシト降っています☂☂
気温はあまり高くありませんが湿度が高いです・・
・・いつも愛読しているブログ、自分スタイルのセカンドライフのブログ主は最近70代になられたお医者さまです。
60才過ぎで勤務医をやめ、その後、農業を中心に「晴耕雨読」の生活をし、数年前に現役復帰なさった男性です。
農中心の生活をブログに綴っていらっしゃる頃からずっと拝読しています。
私自身もこれから突入するシニアライフの先輩として、日々の暮らしの様子や考え方などを参考にさせていただいています。
その方も書いていらっしゃいますが、「年を取ると欲が無くなる」んですね。
とはいえ命がある限り身体を維持していかなくてはならないので、身体機能の維持のため、欲が完全に無くなることはありません。
ですから正確には「自我に基づいた欲がどんどん少なくなっていく」でしょうか。。
私も過去のブログに何回か書いてますが、5年あまり続いた更年期の酷い苦しみの後、自分の中の「欲」がグーンと減り、歌うことすらもうどっちでもいいと思うようになりました。
欲は悪もののように捉えてしまいますが、人生をたくましく推進させる力でもあるんですね。
もっと歌いたい、舞台に沢山立ちたい・・という思い(欲)が、それまでの自分の人生の推進力でした。それが無くなり「どうやって生きて行けばいいんだろう?」と思う日々がありました。
そんな時期を通り過ぎ、今は「歌は自分が機嫌よく楽しんで生きるためのエネルギー源」にシフトしました・・というより、もともと純粋な「人生のエネルギー源」だったのが、また元に戻っただけですけどね。
私の場合、たまたまプロとして「歌で稼げる」ようになったため、純粋なエネルギーが現役のころはベールで覆われてしてしまってたんです。。
ただ歌が好きで進んだ道なのに、「もっと上に行きたい」とか、「負けたくない」というライバル意識に苛まれたことも多かったです。
過ぎてみれば、それも悪いもんじゃない・・喜びや苦しみなど沢山の経験をしたことは今の私に十分役立っています。
だから若い人は、あんまり若いうちから達観したみたいな「若年寄り」になることもないなあと思います。
だって若くて苦労が少ないのに達観できるはずないもん。。
のたうち回って苦しくて苦しくて「何とか自分で自分を救いたい」と心底思ったとき「達観」がやってきます。「あきらめ」と言い換えてもいい。
「あきらめ」は「明らかに見る」ことだから、現実をそのまま見て「受けいれる」こと。起きたことへの一切の抵抗をあきらめることなんです。
心の奥底に「現実逃避」が残っていたらまだまだ・・
自分の中に「言い訳」があったら現実逃避かもしれませんよ!
・・大先輩のブログを見て触発されちゃったのかな・・
熱心に書いちゃいました。
その方曰く、
「老人はニコニコ笑っていれば良い・・ダジャレでも言いながら・・」
こういう老人になるには、今を充実させ機嫌の良い人生を重ねていくことかなあと思います。
それでは皆さん、良い一日をお過ごしください!