我が家のスモールガーデンの紫陽花
こんにちは!
本日の座間地方は地気が濃くて、霞んだ晴れになっています。
あちこちで鳥が子育て中なのか、親鳥に混じって雛たちの鳴き声がかすかに聞こえて来ます。
人生60年生きている間には、色んな始まりや終わりがありました。
中でもインパクトが強いのが、自分の人生の核になっていたオペラの舞台へのデビューと引退です。
私はスターでも何でもありませんから、誰かが特に注目してくれたりということもありませんでしたが、29歳で藤原歌劇団の本公演<カヴァレリア・ルスティカーナ>にデビューしたときや、35歳で本公演<カルメン>の主役に抜擢され、その後立て続けに世界的な歌手との競演をしていた頃には、それなりの注目を集めたこともありました。
藤原デビューの前にもオペラには出ていて、本当のデビューは23歳メノッティ作曲<領事>の秘書役でした。でもこれは右も左も分からずに踏んだ舞台で、それなりにやったものの「この程度の力で舞台に立ってはいけない!」と深く反省し「ちゃんとオペラの勉強をしよう!」と思い立つきっかけになりました。
それで二期会オペラ研修所(その頃は研究所と言っていた)に入り勉強を始めたのでした。
研究所に入り1年たった頃に結婚。迷いが強い時期だったということもあり1年休学し、計4年かけて研究所を修了しました。
生活費と学費を自分で稼ぎながらの勉強でしたので、いつも疲れていて、実りある勉強が出来たかといえば、それほどではありませんでした。
研究所を修了後に同期の友人に付き合うかたちで一緒に日本オペラ協会のオーディションを受けにいき、なぜかそこで時の藤原歌劇団総監督の五十嵐喜芳先生の目に止まり、誘われるままに藤原歌劇団に入団しました。
不思議なご縁が重なり、入団1年半後に本公演デビューすることになりました。異例の抜擢と早さでした。
そんなこんなで30年以上オペラの舞台に立つ生活が続き、2010年の新国立劇場公演<鹿鳴館>が奇しくも最後の表舞台となり、おりしも更年期の心身の不調と重なりオペラの舞台を断念しました。
オペラは私の人生そのものでしたので、歌えなくなった時は喪失感が強くて辛い時期を過ごしました。
オペラの舞台の引退と前後して、一度はご縁を切った二期会オペラ研修所で教えるという、これまた不思議な巡り合わせでオペラの先生にシフトすることになり、今に至っています。。
ここまで下手な自分史にお付き合いくださりありがとうございました。
・・
さて、ここからが本題ですが・・
オペラの先生をやることは私にとってはひとつの生きがいになりました。
傍ら、自分で企画したコンサートで歌うなど細々とでも表現の場もあるので、それなりに満足な人生だと思っています。
そんな中、オペラのチャンスが巡ってきて久しぶりに胸の高まりを感じました。
「歌いたい!」
でも、その高まりは数時間も続きませんでした。
それで「一晩寝て、自分がどう答えを出すか待とう!」と思いました。
で、出てきた結論は
「もう私には必要のないこと・・もう後ろには戻らない。」でした。
顕在意識的には残念としか言いようがないのですが、今さらオペラの舞台に復帰することを本当の自分は望んでいないことにはっきりと気づいてしまったのです。
オペラを核に生きていた時代はもう完全過去完了です!
いままでの人生で経験した生きがいや喜びの感覚はなじみがあるし(特に全盛期の経験は!)、「あの頃の感覚をもう一度味わいたい!」と人は思いがちだけど、人生は生きてるかぎり進んでいる「・・ing」最中だから、私は年齢とともに変化し展開していくこれからの人生の方だけ向いて生きて行こうと思いました。
今日も今日一日を生き切るんだ!!
それでは皆さん、
Love ♡ ごきげんよう!