こんにちは!
本日の座間地方は台風の影響か本降りの雨模様です。
今回は前回よりさらに勢力が強いとのことなので、警戒したいと思います。
さて皆さんは就寝前に布団の中で読書することがありますか?
私は布団内読書派です。
といっても最近は本を開いたとたんに爆睡してしまうことも多いので、読書成功率 10%以下ですが・・。
昨晩は久しぶりに「老子」を読みたくなって単行本を開いたのですが、4ページほど読んだところで止めてしまいました。
もとの漢文と日本語訳、解説というか解釈を綴ったものですが、その解説(解釈)がすーっと心に響いてこなくて「これだったら漢文と日本語訳だけのほうがいいなあ」と思ったからです。解説者は男性の方です。
・・最近どうも男性の視点で書いた書物や文章に違和感を感じるようになりました。
どうしてかな?と考えてみて思い当たることがありました。
それは男性中心社会との関わりが減ったからだと思います。
社会の仕組みは(特に組織は)理性や競争など、男性的な理論で動いています。
ですので社会活動が盛んな時は自分の中の男性性の方で思考することが多かったと思います。それが社会で生きることなんだ・・と信じて疑いませんでした。
だから主婦の方で女性性を主体に生きていらっしゃる方とうまく馴染めない感じがありました。それどころか、自分がなぜ男に生まれなかったのかと悔しい思いをしていたくらいです。オペラ歌手のくせにビジネスマンが読むような書物を好んでいた時期もあります。
スピリチュアル的な目覚めに伴い2005年位から、それまで関わっていた組織からの離脱が始まりました。ひとつ離脱すると次々に離脱することになり、3.11の震災を境に自分を不自由にしていた組織のすべてから離れました。
現在もいわゆる組織の中の役割(指導者)として、必要な時だけその場に行くということはしますが、時間限定で自分の役割を果たしに行くだけなので、完全な一匹オオカミ状態です。
組織から離脱することで軸足がマインドからハートに移りました。
マインドは頭で考えること、ハートは心で感じることです。
組織との関わりを中心に生きると頭で考えて動くことが主体になり、競争心も強まります。
ところが組織から離れて生きるとマインドを使わなくて済むので、女性性の特徴であるハートで感じることが主になります。
社会的にバリバリ感を持っていた頃は、野草を愛でたり小鳥のさえずりを感じたり、空気の清々しさを感じることが出来なくなってしまった時期もありました。
感じたいけど感じ方が分からなくなってしまったのです。
道ばたの可憐な花を見ても心が動かくなってしまって・・昔はそういう小さい自然の美しさに触れたとき心が動いた記憶があるので、心が動かなくなった自分に驚きました。
気づかず心を失っていたのだと思います。感情は過多でしたが・・。
感情は表面の波立ちで、心=ハートは深々とした感動の母なんですね。
ハートの奥底には何とも言えない「喜び」が横たわっています。
私はまだ現役で働いていますが、縛られるものがないのでハート中心でいられます。
競争からも離れたので気楽です。
誰から評価されることも指図されることもありません。
そうして本来の私に備わっている「女性性」を取り戻しました。
人間は誰でも男性性と女性性をあわせ持っていますが、男性性に偏ると成功の裏に苦しみを抱えることが多くなるような気がします。
要はバランスということなのでしょうが、せっかく女性に生まれたのだから神様が与えてくれた女性性を大切に生きたいなあと思います。
それでは今日はこの辺で!